2013/02/28

私は今日も生きてます

精力的に高みを目指す中高年がよいか、さっさと自分の能力に見切りをつけどっしりと腰を据えた中高年がよいか?

もうすぐ54歳になります。
私のものの見方が非常に穿っているのか、またはひねくれているのか、わかりませんが「これが私なんだもの」というような「自分主義」を通す自分を誤魔化さない生き方を良しとする中高年女性の言動は、ある種の自己否定の裏返しのように思える時があります。
そんなことあえて言わなくても、あなたは生きているだけで充分アナタなんですよ。と言いたい。もちろん自分にも。
自分らしさもこだわると、かなりしんどいです。
他人の意見に流されて、あとになって「やっぱり自分の考えをちゃんと言っておくのだった」と後悔したり、他人の身なりや暮らしぶりに憬れてちょっと真似してみたりしても、それで自分じゃなくなるわけではないですよ。
度合いの問題。
自分というものへの固定観念や反対に「何が自分なのか分からない」苛立ち、やるせなさも全て「こういうもんや」と受け入れる。
「私、こんなはずじゃなかった」とか「こんなもんじゃない、もっと素敵な人生があるはず」とか、今現在を否定して何が上なのかは分からないけど、とにかく上を目指す。
10代、20代ならそれもよかろうけど、もう人生も折り返して何年も過ぎてから、そんなようじゃしんどいなと思います。
だから、政界のおじ様、おば様方、さぞかし心労極まりないかと存知ます。
でも「これが私だ!文句あるか!」式の開き直りはいいとは思いません。
相対的な見方ではなく、絶対的な見方とでもいうか「今の自分」よりは少しでもマシになるように努力精進は必要だと思います。
では、何をもってマシとするか・・・
それは昨日まで、作ったこともなかったおっ洒落~な料理が作れたとか、昨日まで知らなかった英単語を覚えたとか、そんなことでいいのではないかと思います。
ささやかなものに対し、喜びを感じる感性。これも度を過ぎれば「ちょっとついて行けない。疲れる」感じもしますが、自分の心の中で「やった!」とガッツポーズ☆これくらいが私は好きです。
なのに、時々やってしまうオーバーアクション。あとで後悔することしきり。しかし一晩寝たら忘れる学習能力の無さ。
自分の日常を「お気楽」だとか「穏やか」だとか「のんびり」だとか、すごくフラットな生活、人生だと言うのも私は本当は好きじゃない。
けれど、ドラマチックな人生でもなく。
で、行きつく先が「ま、こんなもんでしょ」なんですわ(^^)
適当に受容して、適当に努力して、昨日より今日、今日より明日が少しは聡くマシになっているように、私は今日も生きてます。ハイ(笑)
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