2012/01/17

亀の甲より・・・

「主婦症候群」という言葉を聞いたことがあると思います。
「女らしさの神話」の著者で全米女性機構(NOW:National Organization for Woman)の創設者、ベティ・フリーダンが1950年代に「得体の知れない悩み」と表現した病理現象は1970年代後半からに日本でも注目され始めました。
女性が期待されている性別役割(妻・母親)を生きているうちに社会から取り残されるという不安や不満が身体の不調として表れてくるというものです。こうした問題が家族にまで波及し、むなしさを埋めるために子どもに執着・期待する母親のために「良い子」を演じきれない子どもに様々な障害が生じることなどが指摘されています。ベティ・フリーダンは初めて「専業主婦」を問題化した女性だそうです。
主婦が家庭で家事・育児をしてもそれは労働とは認めてもらえない専業主婦は「暇人」として考えられていると言うのです。専業主婦が「養ってもらっている身分」なので家事・育児は暇のある「女の仕事」と考えられてしまうのだと言います。そういった社会の目になんとなく居心地の悪さを感じているのが「主婦症候群」です。

私が初めてホームページを作った10年前、私は地元の男女共同参画事業の一端に加わっていました。
各分野で活躍している女性、ジェンダーが専門である学者さんたちと共に公的広報のガイドラインの策定をしたのです。
その頃の私はパートタイマーで小売業の事務所に勤めていましたが、自分の中の何とも言えないモヤモヤの原因を探ろうと必死でした。
その時、気付いたのが「これは主婦症候群といわれるものではないのか。私が囚われているのは「女の役割」という所謂ジェンダーなのではないのか。」ということでした。
そして私は考え悩み、自治体の男女共同参画という所まで行ったのです。
そして、多くの女性たちと話す機会を得、フェミニストと言われる女性とも話すことがありました。
その時、すっきりしたと言うよりは「私が欲しかったのは彼女らの言う開放とは違う。ただ、自分が納得行く人生を送りたいだけ。それが主婦として日々の家事に追われ夫の収入に頼って生活している状態だとしても、私自身の心は誰のものでもなく私自身のもので私の人生の決定権は私にある。仮に負の感情を持ったとしてもそれを乗り越え、明るい方向へ向かう動きは自分で起こすものだ。この年齢になったら自己の責任の下で動くことができるはずだ。」と考えるようになりました。
全てを社会のせいにしていたのでは女性の精神的自立はできないと思うのです。
私は経済的自立はできていません。
精神的自立の近道は経済的自立だということは身にしみて解っています。
でも、夫婦というものは持ちつ持たれつ。
経済的自立の不完全な妻と生活的自立の不完全な夫がふたり寄り添って家庭を築いている。それで、いいのじゃないかと思うんです。
これだから日本の夫婦は云々・・・と仰る方もいるでしょう。そりゃぁ、全てにおいて自立した男女の結婚が理想かも知れませんが、夫婦の形態は千差万別。一概にどれが本当とは言えません。
私はなるべく人様をうらやむことをしないようにしたいと思います。
どんなに幸せそうで、どんなに成功しているように見える人でも、見えない部分では人に語ることのない苦労を背負っていることもあるだろうと思うのです。
人は見たままではないということ。勘ぐることと想像することは全く違います。勘ぐりは邪推です。想像は相手の立場に立ってみることです。共感というのが近いかも知れません。
でも共感して自分も同じように心が落ち込んでいたのでは何にもなりません。
自分を確立できていない人間は共感するということも難しいのかも知れません。
けれど、少しの想像力を持って家族や周囲の人々と助け合うことができればいいなと思います。
人は一人で生きては行けないんです。自分の人生は自分のものだけど、やっぱり人は社会的動物なんです。
一番身近の自分という存在をまずは受け入れたいと思います。
そうすれば、他人にも優しくなれると思います。
自己受容ということ。いつまでも太宰治みたいに自分をダメダメ人間と嘲笑いながら生きていたのでは苦しいですよ。
駄目なところもご愛嬌。完璧な人間なんているはずがない。人間は機械じゃないです。
機械じゃないから自ら向上することもできるんです。

とりとめもないことを書きましたが、とにかく前を向いて進もう!亀の甲より年の功。昨日よりは今日の自分が少しでも聡くなっているように頑張るぞ!ってことです(^_^)

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