2014/05/12

何に力点を置くか・・・

生活の何に力点を置くか考えている。
私の人生は家庭生活そのものであって、社会での顔なんてものは「○○さんの奥さん」以外の何物でもなく、もうそのことに関しては何ら疑問も悩みもなく、と言うより、そういったジェンダーの悩みはすでに突き抜けてしまった。
「はいはい、私は○○さんちの奥様でございますデス(^^)」てなもんである。
そんなことにグジャグジャ悩む年ではない。もう先は何十年もないのであるから。
そういったことはもっと若い頃に悩む事柄。私は結構、真剣に考えてみた方かも知れない。
で、出した結論は「自分が選んだ人生は自己責任。それをジェンダーに無関心な社会がそうさせたと思うのは大間違い。そう気付いたなら軌道を立て直すこともできたはずなので、しなかった(戦わなかったと言うべき?)のは自分ですわ」である。
結局、○○さんちの奥様が楽ちんだと思ったわけだ。
そして最近、この家事という苦手・・・(嫌いという方が早い(笑))な上に雑多な仕事をこなす生活そのものがわが人生であるからして、この生活の何処に力点を置くか。。。と考えるのである。
今の所「食(料理)」かな・・・・・
食べることは生きることに直結する。
誰かが食にこだわるのは卑しい、食べ物は餌なんだというようなことを書いていた。
食に興味がないのがインテリのような書き方。
美味しいものを食べたいと思うのはさもしいのかね?
私はどこそこの何が並んででも食べたいとか思うことはまずない。並ぶのなんて面倒くさい。2人待ちくらいだったらいいかな・・・調味料もお買い得品でいい。肉、魚、野菜の生鮮食品はできれば地元か国産の物がいい。でも、国産じゃお高くて手が出ないことも多々ある。その時はあっさり輸入品。お財布と相談で拘りはなし。
時には出来合いのものを買ってきてズルもする。今日のお昼は本屋の帰りに立ち寄ったコンビニの焼きビーフンだった。
でも、自分で料理する時は、作る「食べ物」が美味しくなるように努力したいし、かけるべき手間は惜しまずかけたい。
そんな風に女の人生、後半も大分、過ぎて思うのである。
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2013/04/29

旧い本を読み返す

今、10代の頃に読んでいた本を読んでいます。
旧い本の匂い、赤茶けたページ。
赤鉛筆で線が引いている箇所にドキリとします。これが今の自分を作り上げているものなのか・・・
随分とペシミズムというか、ひねくれている。
50代のおばちゃんから見て扱い難い娘のような気がする。でも、核心をついているような。
人間って何歳になっても本質は変わらないんだなと思います。
一度、心震わして読んだ本はやっぱり今でも心が揺さぶられます。その振り幅は小さいかも知れないけれど。
振り幅が小さいってことは物事に対する感受性が薄れたってこととなのか、色々な経験を積んだことで動揺しなくなったってことなのか。
いずれにせよ、人は何歳になっても本質は変わらないけれど、世の中に迎合するのがうまくなって、本当は何も解っちゃいないのに年とともに「こうあるべきでしょ」というステレオタイプで物事をみるようになる。
今の私は54歳ですが54歳ならこの程度のことは言っておくべきかな・・・みたいな。
時々、10代、20代の頃に読んだ本を読み返すことは、自分自身を見つめ直すいいきっかけになりますね。
2013/04/18

ああ、しんど

このブログでは季節の料理を作って、お菓子を焼いて、ハーブを植えて・・・
なんとも穏やかで優雅に暮らしているようですが・・・(そうは見えないかも?)
あえて書くことでもないですけども~実はそんなに心穏やかでもないのです。
年齢的なもの(更年期障害とか)もあるでしょうが、ドドドーーーーーッと気分が低迷することがあります。
元々、若い頃から考え過ぎの傾向があり、職場の上司から「頭の中を空っぽにしろ」とよく言われ、目が合う度に上司が自分の頭のコメカミあたりをとんとんと指差し「頭を空っぽに」ということを黙示されていました。
そんな私もおばちゃんになるにつれ、一晩眠ったら忘れてしまう有難い能天気体質になりました。
今の落ち込みは「自分で自分を操れない」ことへの苛立ちです。
体力がついて行かないせいもありますが、料理や手芸やその他趣味の数々をやってもあまり面白くないことが多いのです。
大体、家事が大嫌いで、特に掃除が嫌い。
でも、日々、埃は発生し、濃い目の床は白く目立ちます。
なんでこんなに物が出たのか分からん物を定位置に戻すのも億劫で横目で見ながら編み物をしたり、こうやってPCのキーボードを叩いたり。
先に掃除をして何かするという生活スタイルが身についていないので、家族が帰る30分くらい前に大慌てで掃除機をかけることが度々です。洗濯だけは乾きの問題があるので午前中に干しますけど。
なんでかな~
本当は家事をさっさとこなして活動的に動き回りたいのに。
手芸も読書も掃除や買出しやその他の雑事を済ませてからの方が楽しめるだろうに。
何で、自分を思い通りに動かせないのだろう?
楽な方へ逃げているというのとはちょっと違います。
決して気分的に楽ではありません。
さてと、只今午後2時過ぎ。先ほど、買い物は済ませました。
今から掃除します。ああ、しんど(ーー;)
2013/03/12

最近思うこと・・・献身でも滅私でもなく・・・

献身とか滅私とかじゃなくて、もっと意識の外にある私心のない働きかけ。
いや、私心がないと思った時点で既に他者へ対する自分の行いに私利私欲がないという自分を崇高な人間であるかのように位置づけることになる。これは大いなる勘違い。
「私のことはどうでもいいのよ」と言いながら人のために何かをすることは「私はこんなにやってあげているのよ」ということの言い換えにしか過ぎない。
何かを行う時、意識しながら丁寧にやることはとても大事なことだけど、そこにはただその行うべきことを失敗無くやろうという「動き」に対する注意が大切なのであって、その結果の副産物としての他者からの賞賛であるとか感謝であるとか、または自分自身の満足感や優越感は、なるべくならば他所に置いておきたい。
私は、行動の発端が何であれ、夢中になること、頑張ること、精一杯やること、それが大切だと思う。
整理がついていないけど、最近そんなことを考えている。
2013/03/04

感性が違う・・・

「感性が違う」
よく耳にする言葉です。
自分と食い違う意見の持ち主や、自分とは違った反応をする人、自分の気遣いや好意を理解しない人、または気遣いに対して何の反応も示さない人、簡単に言えばお礼や謝罪を言わない人、などに対して使われることが多いと思います。
そういう時に「感性が違う」と言うと、誰もが“何となく”納得してしまう言葉です。
正直言って私も使っていました。だって、本当に便利な言葉なんですもん。
でも、、、、でも、この言葉、言われた方にすればすごく嫌~な気分になる言葉でしょうね。
極端に言えば「私は繊細で高等な感受性の持ち主。あなたは猿以下」みたいな
普通、面と向かっては言わないですけどね。大体が陰口^^;私も、直接、言われたことないですもん。陰ではわっかりませーん^^;
時たま、テレビやなんかでコメンテーターの方が言うことがありますが、それを聞くと「せめて意見が違うとか見解の相違とか言って欲しい」と思います。
確かに人情の機微みたいなものを含んでいるように“聞こえる”言葉ではありますが、なんか「感性が違う」の一言で済ますというのは、ものごとの周辺の細かな事情を想像力も働かせず一刀両断に切り捨てるような、それこそ情けの無さを感じます。
もともと、感受性は人それぞれでありまして、全く自分とは違う感じ方をする人には尊敬の念を抱くか、または呆気にとられるかであります。
「感性が違う」と言ってしまうのは、もしかしたら自分とちょっと近しいものを感じ、ちょっと理解できているからかも知れんなぁ~と思います。それか、相当、気に食わないか(笑)
怒りというものは自尊心が傷つけられた時に生まれるように思います。
この怒りが自尊心ではなく他者の尊厳が傷つけられた時に強く感じられるようになれば、人として成長できた証かも知れません。
この時こそ、感性の働きが大事なのですね。
「感性が違う」相手とも上手く折り合う度量。「感性が違う」ことに対して自尊心からではなく言うなれば人類愛から怒りを覚える。そんな風になりたいな~
あら?人類愛とは☆大きなお話になりました(笑)
芸術的な感性。これは「理解できる」か「理解できない」。「好き」か「嫌い」。「美しい」か「美しくない」。「心地よい」か「心地よくない」。大雑把に、この四つで判断しております。私の場合。
でも、時たま、理解はできないけど、美しい。美しいけど嫌い。理解はできるけど心地よくない。そんなややこしい気持ちが沸いてくるので厄介です。まぁ大体は、美しいから好き。よく解るから好き。好きだから心地いい。なんですけどね。
ああ、人間とは摩訶不思議。それがあるから美術、音楽、文学があるのでしょうね~
2013/02/28

私は今日も生きてます

精力的に高みを目指す中高年がよいか、さっさと自分の能力に見切りをつけどっしりと腰を据えた中高年がよいか?

もうすぐ54歳になります。
私のものの見方が非常に穿っているのか、またはひねくれているのか、わかりませんが「これが私なんだもの」というような「自分主義」を通す自分を誤魔化さない生き方を良しとする中高年女性の言動は、ある種の自己否定の裏返しのように思える時があります。
そんなことあえて言わなくても、あなたは生きているだけで充分アナタなんですよ。と言いたい。もちろん自分にも。
自分らしさもこだわると、かなりしんどいです。
他人の意見に流されて、あとになって「やっぱり自分の考えをちゃんと言っておくのだった」と後悔したり、他人の身なりや暮らしぶりに憬れてちょっと真似してみたりしても、それで自分じゃなくなるわけではないですよ。
度合いの問題。
自分というものへの固定観念や反対に「何が自分なのか分からない」苛立ち、やるせなさも全て「こういうもんや」と受け入れる。
「私、こんなはずじゃなかった」とか「こんなもんじゃない、もっと素敵な人生があるはず」とか、今現在を否定して何が上なのかは分からないけど、とにかく上を目指す。
10代、20代ならそれもよかろうけど、もう人生も折り返して何年も過ぎてから、そんなようじゃしんどいなと思います。
だから、政界のおじ様、おば様方、さぞかし心労極まりないかと存知ます。
でも「これが私だ!文句あるか!」式の開き直りはいいとは思いません。
相対的な見方ではなく、絶対的な見方とでもいうか「今の自分」よりは少しでもマシになるように努力精進は必要だと思います。
では、何をもってマシとするか・・・
それは昨日まで、作ったこともなかったおっ洒落~な料理が作れたとか、昨日まで知らなかった英単語を覚えたとか、そんなことでいいのではないかと思います。
ささやかなものに対し、喜びを感じる感性。これも度を過ぎれば「ちょっとついて行けない。疲れる」感じもしますが、自分の心の中で「やった!」とガッツポーズ☆これくらいが私は好きです。
なのに、時々やってしまうオーバーアクション。あとで後悔することしきり。しかし一晩寝たら忘れる学習能力の無さ。
自分の日常を「お気楽」だとか「穏やか」だとか「のんびり」だとか、すごくフラットな生活、人生だと言うのも私は本当は好きじゃない。
けれど、ドラマチックな人生でもなく。
で、行きつく先が「ま、こんなもんでしょ」なんですわ(^^)
適当に受容して、適当に努力して、昨日より今日、今日より明日が少しは聡くマシになっているように、私は今日も生きてます。ハイ(笑)
2013/02/26

???アンチエイジング

結婚して30年以上過ぎ、今更ですが「良妻賢母」にはなれません。
サザエさんの「母さん」フネさんは年齢52歳だとか。
今の私より1歳若いじゃありませんか!
最初の設定は48歳だったんですって。
なのに、あの落ち着きよう。私から見ても頼れる「母さん」だ。
あれが理想像といえば理想です。
物腰柔らかく、でもしっかり自分の意見は持っていて、押し付けることなく、でもちゃんと意志は通す。
和服が中心の生活。お化粧しているのだろうか・・・?
洋服の時はアッパッパー?所謂、簡単服ってやつですか?
お父さん(波平さん)に対しては敬語。これは私には無理ですな~
お料理、お裁縫上手。経済観念もしっかりしていてやりくり上手そう。
体も丈夫そうだし、いったい、何歳まで生きたんだろう???
あ、漫画の中のヒトだから不老不死か。。。
いや、最初から老いていたか。。。
え!!!老いていたですと!
52歳は老いておるのかね~?
はい、しっかり初老ですわよ。
などとAHOなことをつらつら考えております。

昔は私も自他共に認める読書家でありました。
しかーし、今は活字を読み始めると眠気が襲う・・・
パソコンのせいで読めても書けない漢字が多くなった。
思い出す前にまず検索。
コレじゃ、脳も衰える一方だ。

アンチエイジング、これには私、物申す。
アンチ(anti)とは反対するとか対抗するとかという意味でエイジング(aging)とは老齢化、老化の意味で、即ち年取ることはいかんことだからなんとか対抗策を講じて若いままでいましょうよってこと。
年取るのが悪いことのように人に植え付けるのはあきませんよ。
これこそ、エイジズム(年齢差別)の根源であります。
日本総おこちゃま化・・・とまではいかなくても、日本人がみんな年齢による渋さだとか、威厳だとかがなくなって、みんなみんな、青い青い、軽い軽いままだったらどうなるんじゃ!
私が若い頃は(と言い出したら年取った証拠だね)大人になりたくて背伸びをしたもんだけど、最近の若い娘さんたちは20代半ばからもうアンチエイジングのことを考えておるらしい。
美容雑誌をチラリとのぞけば分かるもんね~ほうれい線を20代で気にしてどうすんのじゃ!
コロコロで顔筋鍛えてフェイスライン上げてなんてシジューも過ぎてからでヨロシ。
そんな若さで年取ることをいかんことのように思っていたら、アナタ、穏やかに生きてはいけませんぞ。
昔から、ニッポンの男たちは「畳と女房は新しい方がいい」などと、おぬかしあそばして(失礼!)若さ礼賛の傾向がありますが、あれもよろしくないですね。
とにかく、今のアンチエイジング志向は見た目にこだわりすぎ。
見た目が若かったら、心も若返るんかしら?頭も冴えてフットワークも軽くなるんかしら?
確かに、外見が変わると心境が変わるということは否めませんが、お顔のしわ一つ消えたら、心の重荷一つ消えるんかな?人の一生、重き荷を背負い長き坂を上るが如し・・・責任と後悔と反省と・・・色んな重き荷物を背負うから人は年取るといい顔になるんじゃないのかな?
そのいい「お顔」捨てることはない!
とまぁこんなことを書いていて、ちょっと私の加齢による「やっかみ」があるのかというと、これがまーったくないんですね~
私、開き直っているわけでもなく、今の自分が大好きってわけでもないのですが、時々「目の下に小じわが増えたわ~」とか「膝が痛いわ~」とかボヤキますけど、これは年相応で「まぁこんなもんでしょ」と納得しているんですわ。
ただし、膝の痛みは体重を落とすことと大腿筋を鍛えることで回復することは知識としてありますから、何とかせんといかんと思ってはおるのであります。
「この女性何歳に見えますか?」式のCM。
正直、もう飽きましたぜぃ!
50歳が20歳代に見えるなんて、アナタ、化けモンじゃないですか。それか、どこかに何か(恐らくお金とか精神的なもの)落とされたんじゃないでしょか?
それか、今のCG技術の賜物か・・・・・
とにもかくにも、年取ることは怖くないです!わたしは。
と、空元気かも知れないが、、、でも、私は頑張るぞっ!   
ふねさんの話からここまで来たか・・・^^;
2013/02/18

日々楽しんで

2月5日に初めてクックパッドにレシピを公開しました。
今日で13日目。
昨日の時点で5万以上の閲覧があってびっくりしています。
製菓について習った経験も無い素人主婦のホームメイドのレシピなのですが、それを深く考えると恥ずかしくてネットでお料理の公開なんかやっていられません。
我が夫に言わせると私がやっていることは「お金にならない」所謂非生産的なことらしく、何が面白いのだか理解できんらしい。
だが、です・・・お金になったら楽しみじゃなくなる!という心理もありますがな・・・
大体、私のレシピがになるわけがないでしょう。
昔々、クッキーやらケーキやら、はたまた、おはぎやら桜餅やら、各国のお母さんたちはお家で手作りして、家族や周りの人々に振舞っておったでしょう。
その延長線上にクックパッドや自分のブログ、HPに自分が作ったもののレシピを公開するという行為があるのです。
そしてなるべく美味しそうにお洒落~に見える写真を撮ろうと撮影に工夫を凝らしたりしているんです。
自分が作って美味しいと思ったものが人様のお口に合わないこともあるということも分かっております。
それは、どんな有名シェフが作った料理でもどんな凄腕のパティシエが作ったお菓子でも頻度は少ないとしても同じことだと思うんですね。
私はネットを使い始めて、もう十数年になり、自分がブログやHPを作り始めて9年位になりますが、その時間の中で自分がやっていることに疑問を持つこともいくらかはあったのは確かです。
ブログやらHPには綺麗なとこしか載せていない事実があるからです。
自分が作った料理やお菓子の画像も横の方の片付いていないものを除けて、綺麗なクロスを敷いて、ぼろ隠しした所でシャッターを切る。
ちょっとお洒落なとこに行ったり、ちょっと可愛げな物を買ったりしたらブログにUP、アップ!
これって、自分の虚像の羅列ではなかろうか・・・?
いや、ちょっと待て。お洒落な所に行ったのも、可愛げな物を買ったのも自分。それは自分の実像の一部分だ。
などとあれこれ考え始めたらネットはやっていられません。
一般人のブログやホームページがランキングされ人気ブログが成立するのはやっぱり人は他人の生活が気になって、それに共感し、反発も感じ、そして希望や勇気を貰うことができるからなんだと思います。
深く考えると、何もできませんわ・・・
あの人もがんばっている、生きている、楽しんでいる。
私も頑張って生きよう、楽しもう。
そんなスタンスでこれからも「やっこかあさん」はレシピUP!しようと思います。
長くなった・・・何書いたんだか・・・・・
とにかく、日々、楽しんで生きようっと(^-^)
2013/02/12

動けませーん!

私はでかけようと思っても大体、昼頃から嫌になってそのまま家にいることが多いのです。
ですから、午前中に「エイヤ!」と家を出てしまわないといけません。
今日も、市街へでかけるつもりでいたのですが、なんだかんだで行かずじまいです。
なんでこんなに出不精になったのか分析してみます。
それは「家のことが気になる」この一言につきます。
さっさと朝食の後片付けを済ませ、洗濯物を干し、ゴミ出しも手際よく完了し、部屋の目だった汚れだけでもさっと拭き取り、メイクもばっちりできておれば、まず何の心配もなく家を飛び出せるのです。
それができていないと何となくバスに乗る距離には外出しづらい。
ママチャリで10分迄で行ける所はそこまで気にはなりません。
ペーパードライバーなので外出はバスもしくはママチャリなんです。

家にジッといる時はあまりお掃除をはじめとする家事に熱心ではない。でかける時は家事が気になる。
これを分析するに、もし外出中、私に何らかのアクシデントがあって、家の中に私以外の誰かが入らなければならなくなったらどうなるか・・・散らかった家では恥ずかしい・・・・・
そうなんです。家族を含め自分以外の誰かを意識しているんですね~
ママチャリで10分でも、家の中にいてもアクシデントは起こる時には起こるけど、距離と不在時間、アクシデントは比例していると考えているんですね、恐らく

それなら、相当に綺麗好きで家族から文句を言われないほどの家事の達人だといいのですが、まった~く、そうじゃないです^_^;
そこの所の行動と意識のバランスが自分で保てないから、なんか、家事がしんどいんですよね~
少々の汚れじゃ人間、死にはせん!と思っていても埃を目にしながらゴロゴロしている時の何とも嫌~な胸のザワメキ。
開き直りは自己防御のひとつです。でも、開き直ると人間、成長はしません。
だったら動きゃいいのに、動けませーん(ーー;)
まぁ、成長するって年齢でもないですけど~(笑)
2013/02/11

良いものを少しだけって・・・・・

一昨日、購入した砥部焼きのマグカップです。

砥部焼きのマグカップ


砥部焼きは地元愛媛の焼き物。
磁器なのに厚みがありますが、すごく丈夫で割れにくいんです。うっかりものの私向きです(笑)
引越しの際、収納のことを考えて器類をかなり処分しました。
それなのに新居に移ってから、また買って増えています^^;
でも、食器が好きなものだと、お料理も楽しくなりますよね。

最近買ったもので便利だったのは前にも書きましたがスタンドアイロン台です。
そしてこのシュロボウキ。
シュロボウキ

和歌山の山本勝之助商店のものです。結構、お手ごろなんですよ。
なんでも20年は十分もつそうです。
これでフローリングをさっとなでると埃がしゅろに絡まります。
小さなほうきは階段用。
家事も好きな道具で少しでも楽しくやりたいものですよね~

最近、物を持たない生活が流行っています。
その手の書籍が多く出ていますよね。
いいものを少しだけ・・・と何方も書いていらっしゃいます。
それは確かなことなんだろうけど、いいものって何ですかぁ~???
高価なもの?手の込んだもの?伝統があるもの?
上記のものを選べば、大体間違いはないのだろうけど、自分の経済というものがありますよね。
身の丈にあったもので、一番好きなものを選べばいいんじゃないんでしょうか?
自分が憧れている高価で手が込んでいて伝統があるブランドの品を一つ買うために、普段の生活のアレコレを我慢するなんて私にはできませんね。
100円ショップの製品で好きなものもありますし、アウトレットで見つける事もありますよ。
買い物はセールじゃなく正札で。
良いものを一つだけ・・・ああ、無理ムリっ(ーー;)
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